アユタヤと暑さとコーラ
こんばんは。バンコクのイノシシ続報です。本日朝、昨日イノシシがいた川沿いに行くと、イノシシが美味しそうに誰かが用意したであろう残飯を貪り食っていました。どうやら彼は、誰かに飼われているようです。ただ、まだイノシシのようなおじさんが残飯を貪り食っていたという可能性も0ではありません。
というわけで、本日はイノシシを横目にアユタヤへ。アユタヤといえばあれです。木の中に仏頭が埋まっているあれ。
それを見に遠路はるばるアユタヤへ。電車は驚きの片道20バーツ。クーラー無し。座れない。そんな切符だったけど、宿の近くからアユタヤ行きの電車が発車する駅へ行くよりも20バーツほど安くバンコクからアユタヤへ。国鉄の力恐るべし。日本でもいまだにおじいちゃん世代はJRのことを国鉄という。という補足情報もおまけでつけて、バンコクからアユタヤへの鉄道の値段をお送りしました。
アユタヤの感想は涅槃像を乱発しすぎ。ワットポーでしか見れないと思っていた涅槃像が今日見ただけで計2体。なんならもう一体あるらしく、涅槃像の意味と重要性について50000字程度のレポートが書けそうだ。
自転車でまわりましたが、暑さに負けて何度も座り、へこたれ、汗をかきまくり、Tシャツの匂いをかぎ、心がなえ、仏様を見て持ち直し、暑さにうだり、カフェに入り、上京したての女子大生が頼むようなストロベリーソーダをアユタヤのオシャレカフェで頼み、自転車に乗り、時に車とぶつかりそうになりながらアユタヤを回りました。
帰りは15バーツのさらに遅めの国鉄でしたが、無事につき、バンコク最終日を記念して焼き肉を食べて帰宅。
よくよく調べてみると、こちらの涅槃像がストⅡのザンゲフのステージのモデルになっているかもということで、あんなうだるような暑さの中、あんな暑そうな服で戦っていたベガを尊敬します。
ザンゲフとサガットは服装的にフェアな戦いをしていると思う。
おやすみなさい。
いのししが寝ている
バンコクにいます。かれこれ通算何日目だろう。(数えるのはめんどくさい)
今日一番のニュースはバンコクの川沿いで寝るイノシシを見たこと。まるでおじさんかのように、本気のいびきを書いて寝ていた。いや、あれはきっとおじさんだったんだな。おじさんのようなイノシシではなく、あれはイノシシのようなおじさんだったんだな。
その川は社会で誰もが一度は習う「チャオプラヤー川」どれだけ社会の時間にいのししのように寝ていた人でも一度は耳にしたことのある川です。
いや、待てよ。イノシシのように寝ていたおじさんだから、ここでは社会の時間にいのししのように寝るおじさんのように寝ていたというのが正しいのか。いや、しかし本来のいのししの寝姿を見たことがないから仮にあれがおじさんだったとして、イノシシのように寝るおじさんという表現はおかしくないか。
正確には、イノシシのように見えるおじさんが、おじさんのように寝ていたというのが正しい。
ん?おじさんのように寝ているおじさんってなんだ。。
話をチャオプラヤー川に戻そう。
チャオプラヤー川は、ナーン川とピン川が交差する地点、ナコーンサワン県で始まる。ピン川の水量が多い。
チャオプラヤー川流域の県は、バンコクの外、ウタイターニー県、チャイナート県、シンブリー県、アーントーン県とアユタヤ県である。チャイナート県でターチン川とチャオプラヤー川に二分され、ターチン川はチャオプラヤー川と平行に流れたのちサムットサーコーン県から、チャオプラヤー川はサムットプラーカーン県からタイランド湾に至る。
バンコクを中心とする中央湿地帯では、農業用あるいは運搬用に運河が掘られ、世界でも有数の稲作地帯に発展した。これをチャオプラヤー・デルタ(三角州)という。
かつてはメナム川と呼ばれることが多かったが、これは現地の人々がこの川を「メーナーム・チャオプラヤー」(「メナム」は川を意味する普通名詞。タイ語の文法では、被修飾語が修飾語の前に来る)と呼んでいるのを、「メナム」が川の名前であると外国人が勘違いしたことによるものであり、不合理な呼称である。そのため、現在では地図でも訂正され、メナム川と呼ばれることはほぼ無くなった。
だからなんだ。チャオプラヤー川ってもっと田舎のほうにあって、現地の人が手こぎボートとかで、行き来しているイメージがあったけどそんなことなくて、ゴリゴリのクルーズ船みたいなやつが、クラブで流れているみたいな曲を流しながら運行していたりするので、変な感じです。
というわけで、今日はバンコクのチャオプラヤー川とイノシシとおじさんの関係についての考察でした。
カオサン通りに行こうとしたけど、昼ご飯食べてからごろごろしすぎて、夜のカオサンはゴリゴリの欧米人が奇声あげて踊り狂っているイメージしかなかったのでやめたのはここだけのお話。
おやすみなさい。
バンコクで通路を司るおじさん
7月28日(金)
国王の誕生日でタイは祝日です。
本日は、一日ノマドデー。スタバにこもって、ブログ書いたり、これからのことを調べたり。コーヒー飲んだり。
我々の宿がある路地の入り口には夜になると一人のおじさんがあらわれます。彼は、何をするわけでなく、路地の入り口にイスをだして座っています。
彼のポテンシャルやいかに
しかし、なぜ彼は夜になると決まって通路に椅子を出し、何をするわけでもなく座っているのでしょうか。そう考えると私の頭の中に一つの考察が浮かび上がりました。
彼はこの通路を守る番人なのではないか
東南アジアでは、店や通路などの前にセキュリティーがいることは珍しくありません。だとすれば、夜になると通路の入り口に現れるこのおじさんもセキュリティーなのかもしれません。
しかし、彼の風貌は決して強そうではありません。半袖半パン。年齢は40は越えているでしょうか。どちらかというろやせ形です。また、目に見える武器の装備もありません。ドラクエのコンボウですら装備していない彼。しかし、この彼を番人だと考えると、彼のポテンシャルははかりしれないものになります。
週刊少年ジャンプの漫画では、だいたい強いやつは小さいやつと相場が決まっています。(トグロ弟、ラオウを除く)
例えば、フリーザ。周りにいるギニュー特戦隊と比べても小さく、声も強そうではありません。しかし、彼の戦闘能力たるやスカウターがぶっ壊れるほどのすさまじさがあり、私はドラゴンボールを読んでいて恐怖を覚えたほどです。
能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったものです。おそらく、あのおじさんも恐ろしい戦闘能力を秘めていることは自明の理といっても過言ではありません。
ありがとうおじさん。我々の平和は彼によって守られているのです。
おやすみなさい。